Dear Weedの由来

 

Dear Weed 親愛なる雑草たちへ

野草は、ハーブや薬草と言われ、親しまれる一方で、
人の生活にとって非生産的で望ましくない場所に生えている草たちは、
Weed、雑草と呼ばれます。

小さい頃、 田舎で育ったわたしには、
自然の風景の中で遊んだ想い出がたくさんあります。
季節の草花を摘んだり、草遊びをしたり、それをおままごとに使ったり・・・
名も知らない雑草と言われる草花にかこまれて遊んでいました。

                           

都会に出て仕事をするようになると、
植物への興味から、ハーブやアロマを通して、植物を学び、
きれいにパッケージされているハーブを利用するようになりました。
そのなかで、 人間にとって有益である、、
いわゆる”役に立つ植物”と、”役に立たない植物”というように、
ジャッジするのが当たり前になっていたと思います。

しかし、忙しい毎日を過ごすうちに、
自分の心と体の感じることをないことにして、
人が求める自分をつくったり、他人の評価を気にしたりすることも多くなり、
そんな生活のなかで、心身のバランスを崩してしまいました。

役に立たないものは価値がない、という植物への対し方は、
そのまま自分に対する想いだったことに気づいた出来事でもありました。
もう一度植物療法の原点に立ち戻って、
身近な草花たちに触れることになったきっかけです。

野草との触れ合いの中で、
どんな植物であっても、自然環境になくてはならないつながりや、
全体の循環をもたらしていること、
役に立たない植物というのは、人間の都合からの見方であり、
たくさんの植物が、わたしたち人間の生活にも深くかかわって、
地球の環境を共に生きてきた友人のような存在でもあることにも、
改めて気づいていきました。

その時、わたしの心にあったのは、
故郷の野の草花のある風景です。

昔からよく知る、親しく自分を支えてくれた友人を想うとき、
どんな気持ちになるでしょうか。

あたたかな気持ち、ホッとする気持ち、
やさしく、懐かしい気持ち・・

Dearという言葉には、
そんな友人への敬愛の情が込められています。

 

その想いはまさに、小さい頃、無心に遊んでいた頃に感じていた
草花のある風景。
そして、わたしがバランスを崩したとき、
心身は自然の一部であることを思い出させてくれ、
どんな自分でもそのまま受け入れてくれるような
野草たちの存在に対する想いです。

Dear Weedには、
自分を包んでくれたなつかしい自然の風景、

野草と無心で遊び、そのままの存在を受け入れるような安心感と
自然の一部である自分の心と体の感覚への信頼感を思い出させてくれた、
そんな野草たちへの想いが込められています。

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